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悪いことをしたときの叱り方

子どもの躾(しつけ)というのは、子どもの将来を考えて、一人前の大人とすべく、ひとりの人間として正しく生きていくために、親が子どもに仕立てなければならないものである。

そのしつけの場において、常に問題になるのは「悪い事をしたとき」の叱り方であろう。

体罰については常に親の関心が深い。
むろん虐待などに見る無意味な、そして親の一方的な感情による体罰は論外である。
しかし、たとえば昔から「お尻をたたく」「手をぱしっと叩く」などは親のしつけの常套手段ではあった。昨今では小学校などでも教師がちょっとコツンと頭に手を触れただけで「体罰だ」と怒鳴り込んで来る親もいると聞くが、良い悪いは別にしてもひと昔前など教師の鉄拳など当たり前の風景ではあった。

体罰の前にひとつ言えるのは「罰則」が必要かどうか、である。
例えば幼児に「出したおもちゃを片付けよう」という約束をさせたとして、これがたびたび守れない場合に「そんなことをしているとおもちゃ捨てちゃうよ!」と母親が思わず怒鳴るのはよく聞くことである。おもちゃを片付けないことに対する罰として、片付けないおもちゃは捨ててしまうという形になる。

罰や褒美で子どもの躾をすると、それが悪いからしないのではなく、「親が怖いから」あるいは「何か買ってくれるから」という視点になってしまうことが問題だと言う教育者は多い。
それは一理はあると思う。

しかし、ルールを決めたのなら、それを守れなかった場合の罰があるのも、守れたゆえにご褒美があるのも一概に悪いとも言えない。

一番の問題はその罰則あるいはご褒美の「決まり事」が、親のその日の気分によって変わることだ。
昨今の政治でもなんでも「ブレない」人に対する尊敬が高まっているが、親として子どもに向けては「ブレない」姿勢を保つことこそが大事なのであって、そこにある罰や褒美の中身は各家庭によってさまざまな考えがあっていいと私は思う。

体罰も、親にしっかりとした考え方と愛情があり、節度あるものであるとしたら、絶対に反対というのもおかしな気はする。
ただ体罰の場合はどうしても感情的な面からエスカレートしやすいという問題点があるので、そこに親としてきちんと自分を自制することができるか見極めは大事である。

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