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五輪で輝いた女性マラソンランナー

女性のマラソンランナーと言うと、やはり増田明美さん、有森裕子さん、高橋尚子さん、野口みずきさん等が有名でしょうか。

1984年のロサンゼルス五輪、新鋭の増田明美さんが途中でレースを棄権しました。その涙のシーンを、小学生だった高橋尚子さんはテレビで見ていたそうです。当時の彼女は「マラソン選手というのは、凄まじい距離を走ってタイムを競う鉄人というか、『テレビの中の出来事』だ」と思っていたそうです。

「自分で自分を褒めたい」という言葉でも有名になりましたが、1992年のバルセロナ五輪でエゴロワとデッドヒートを繰り広げた有森裕子さんは、日本人初のメダル「銀メダル」を手にしました。

高校時代に確たる実績もなかった有森さんは、「努力では誰にも負けません!」と一度入社を断られたリクルートの陸上部へ入部します。そして実際並外れた練習量をこなしました。

彼女の強い信念を買った小出監督が、当時はまだ効果があるかどうかも疑わしかった「高地トレーニング」などを積極的に取り入れて、有森さんを世界レベルにまで鍛え上げたのです。

その甲斐あってか有森さんはアトランタ五輪でも銅メダルを獲得。二大会連続のメダルという快挙を成し遂げることとなります。

有森さんからはTV越しにも、何か「強い意志」というようなオーラが出ている感じを受けます。アトランタでのゴール後の表情はとても力強く、鮮明に記憶の中に残っています。

高橋尚子さんは、会社の寮で有森さんの隣の部屋に住む「お隣さん」であり、そして、それが高橋さんの自慢でもあったようです。有森さんのメダル獲得を見て「テレビの世界だったものが、グッと身近に感じられました。有森さんの時はとにかく嬉しくて…」と語っています。

その高橋さんは2000年シドニー五輪で女子マラソン初の金メダルを日本にもたらしました。日本のみならず世界をアッと言わせた高橋さんは翌年のベルリン・マラソンでは女子選手で初めて2時間20分のカベを破ってくれました。

その圧倒的な強さの根底にあったのは、「やってきた練習量は誰よりも多い」という揺るぎない自信であったようです。他の選手が40kmの練習を1本、2本しかやっていない中、高橋さんは15本くらい、多い時は、4日間で3本走ったこともあったそうです。世界と戦うために、ケガをするかしないかのギリギリのところで必ず、守りに入らない選択をしてきたのです。

シドニー五輪の直前、高橋さんは標高3,500mでのトレーニングをする決断をしましたが、それは当時の常識では考えられないことでした。「失敗する怖さよりもむしろ、どれだけ可能性を広げられるか楽しみでした」と語る高橋さんは流石です。

有森さんの真面目なストイックさと、高橋さんの明るい中での絶え間ない努力。お二人を見ていると本当にパワーを頂いている気持ちになります。

2004年アテネ五輪で、日本人による2大会連続金メダルを成し遂げた野口みずきさんは五輪後怪我に悩まされました。

4年4か月ぶりのフルマラソン出走となった名古屋ウィメンズマラソンでは、途中左膝のアクシデントで先頭集団から脱落しましたが、そこから驚異的に追い上げ、29Km過ぎで集団に追いつき先頭を引っ張るシーンを見せました。しかし34Kmでついに力尽き、奇跡の復活は起こりませんでした。しかし野口さんは「まだやれる」と実感し、感激の涙を流しながらのゴールしたのです。野口さんの粘り強さ、そして「努力」を感じさせない普通な感じがとても素敵です。

そして、五輪では結果を出せずに終わったけれど、細かく分かりやすい解説者として活躍されている増田明美さんも素晴らしいと思います。増田さんの解説を聞いていると、データだけではない、選手の人間的な部分まで掘り下げて見ている様子がよくわかります。

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